ユーザーの意識にのぼらない工夫こそ優れた工夫.
素人のエンドユーザーに工夫がバレてしまっては仕掛けた側の負け.
何かを”Good / Bad”と評価することは簡単ですが,そのように感じる根拠を具体的に指摘することの難しさは「料理・文学・演劇・絵画・音楽…の批評」を思えば当然のことです.
そんなことを思いながら,私自身が思いつく範囲で授業の工夫を言語化してみました.
僕の授業を受けてくれた学生さん.
納得でしょうか?僕の思惑とはズレているでしょうか?
- 「学校教育とは,大人世代から若者世代へメッセージを伝えるメディアなのだ」(マクルーハンが言いそうなセリフ)
- 「教科教育は民主主義を守る砦である」(板倉聖宣が言いそうなセリフ)
- 「いずれの学習者にもすべて,欲する知識を.いずれの知識にもすべて,それを必要とする学習者を」(ランガナタンが言いそうなセリフ)
- 「『授業を行う』とは,決して一方的に知識を与えることではなく,『共に生きる』ことであり,それを通して人類を問うものである」(中村哲が言いそうなセリフ)
- 「人それぞれ,事情ってものがあるんですよ」(僕が言ったセリフ)
0. 教育はメディアである
1. 無意識の認知負荷を意識する
2. 印刷の工夫
3. 組版の工夫
4. 動画の工夫
5. 板書・提示資料の工夫
6. 書き言葉の工夫
7. 話し言葉の工夫
8. 「物語ること」を意識
9. 「人権」を意識
上に列挙してきた工夫の一つ一つは些細なものですが,それらに気がついておきながら無視をしてしまうと,学ぶ権利を少しずつながら確実に削り続けることになってしまいます.